代表ブログ「アメリカ横断紀行 ⒃ プレスリー」
メンフィスのホテルに泊まりましたが、ホテルの中ではプレスリーの歌が流れていて、部屋の中でも動画が流れていて、まさにプレスリー一色のホテルでした。
ここでプレスリーの話を少ししておきます。
プレスリーは貧しい家に生れ、一人っ子で両親にはとても大切に育てられたそうです。
プレスリーの生家が残されており、小さい家でした。
この家はショットガンハウスと言われていて、入り口でぶっ放すと1発で家の奥まで突き抜けるという意味だそうです。
12歳ごろ、母親から好きなものを買っていいよと言われ、拳銃が欲しいと言ったところ、びっくりして代わりにギターを買ってくれたそうです。
ギターを手にして音楽に夢中になったことが、その後のプレスリーの基となったのでしょう。
高校を出て、トラックの運転手や工場で働いていたのですが、母親想いのプレスリーは、母親の誕生日のお祝いに、街で見かけた店で、自分で歌って演奏したソノシートという簡易なレコードを作り、母親にプレゼントしました。
このレコードが地元の人の目に留まり、音楽界にデビューしたわけです。
その後は省きますが、ロサンゼルスの自宅にビートルズがあいさつに来たことがありました。
プレスリーは気軽に招き入れ、「僕は君たちのレコードはすべて持っているよ」といったところ、ジョンレノンは、「僕はあなたのレコードは1枚も持っていません」と言ったそうです。
それ以来プレスリーは、ジョンレノンが大嫌いになり、その後ビートルズのメンバーがアメリカの市民権を取るようになったとき、ただ一人「ジョンレノンだけはだめだ」と時のニクソン大統領に電話で訴えたそうです。
プレスリーはロックの王様と言われ、「監獄ロック」や「ハートブレイクホテル」などが有名ですが、ブルース発祥の地であるメンフィスで過ごしましたので、その影響は多分にあります。
しっとりとした「ラブミーテンダー」はその最たるものだと思います。
ビートルズもプレスリーの影響を受けています。ロックもそうですが、じっくりと聴かせる「ミッシェル」や「ザ・ロングアンドウインディング・ロード」もその傾向を感じます。
私は、ビートルズの全曲シリーズを持っていますが、今回のプレスリーのショップでCDを買ってときどき聴いています。音楽はやはりいいですね。